
関 行男 第39回卒(海軍中佐、神風特攻隊敷島隊隊長)

昭和13年12月江田島の海軍兵学校に入校、その後霞ヶ浦航空隊へ進み、航空技術を習得して教官となり優秀な操縦生を育成した。
19年5月大尉に昇進、台南航空隊分隊長を経て201空飛行分隊長として9月にルソン島のマバラカット基地に出動、10月25日、神風特攻隊敷島隊隊長としてレイテ沖の米空母セントローに爆装したゼロ戦を駆って突入、散華した。
昭和50年楢本神社に"関行男中佐慰霊碑"が建立された。地元海軍会等の皆さんにより慰霊碑の式典は毎年行われている。

戦没同窓生慰霊碑(荒鷲碑)

戦没同窓生慰霊碑(荒鷲碑) 伊藤五百亀作 「遥かなる故国を想ひて」

戦没同窓生慰霊碑(荒鷲碑) 伊藤五百亀作 「遥かなる故国を想ひて」
■戦没同窓生慰霊碑(荒鷲碑)
伊藤五百亀作 「遥かなる故国を想ひて」
昭和19年10月25日神風特別攻撃隊長の関行男(第39回卒)は特攻散華の最初の人となった。他にも特攻による西条高校出身の戦没者は幾人かあり、他の戦没者の霊をも合わせて建立された慰霊碑である。昭和31年建立。