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矢野 祐弘  第50回卒(西条高監督 亜細亜大監督)


 
立教大卒業後、S30年3月西条高校野球部監督に就任、“猛練習こそ学生野球の本道”の精神のもと、頑固に“精神野球"を貫いた。

S31年選抜野球大会に西条高校をはじめて甲子園に導いて以後、S41年までの間に、春夏あわせて5度甲子園に出場。昭和34年(1959年)夏には金子投手を擁して全国優勝を成し遂げたほか、S37年の国体でも全国優勝、西条高校野球の黄金時代を築いた。

S40年2月、こわれて亜細亜大学監督に就任、後、総監督に。この間リーグ優勝7回、大学選手権優勝2回と亜細亜大学を東都の名門に育て上げた。

この間、阪神の山本和をはじめ阿波野、与田、小池などの好投手や、大石、パンチ佐藤など個性的な多くの有名選手をプロ野球や、社会人野球に送り出した。


昭和34年(1959年)夏 西条高校全国優勝

昭和34年(1959年) 全国優勝ナイン 「西条高校野球史」より

 

今治へ帰港 優勝旗四国の地を踏む

 

今治市の熱狂的歓迎

 

凱旋パレード 富田川付近

 

凱旋パレード 西条駅前通り

 

西条市 市営コートを埋めた郷土ファン

 

祝勝提灯行列 みこしも出場