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西条高校の誕生 総合高校へ

1ナンバー・スクールのころ
2商業化の設置
3理数課の設置
4衛生看護課の設置
5定時制の発足

 昭和23(1948)年に6・3・3制の学制改革が発足し、西条中学校は愛媛県立西条第一高等学校となり、前年までの西条中学校に属する生徒は併設中学校に吸収され、同年10月には定時制も発足した。翌年9月には高等学校再編により、西条第二高等学校(旧西条高等女学校)を統合、愛媛県立西条北高等学校と改称した。

 25年4月には通学区制を実施、男女共学となり、市内の東・北・西の3中学からの生徒を受け入れることとなった(同時新設の商業科は、少し広い学区)。昭和30年には愛媛県立西条南高等学校普通科300名を統合し、校名も愛媛県立西条高等学校と改称し現在に続いている。
 

空から見た西条高校周辺 昭和30年頃

 

最近の航空写真

 

1 ナンバー・スクールのころ

 学制改革による6・3・3制実施のため、昭和22年には県内に公立新制中学校277校が発足し、従来の県立・私立の中学校には併設中学校が設置され、西条中学も第1学年入学者を迎えることができなかった。4月1日には県立西条中学校は県立西条第一高等学校と名称を変えた。

 前年は入学者をとってないので旧2年から5年生までがこの改革で影響を受けた。本校の卒業回数では49回から52回に当たる。49回卒の場合、西条中学入学は昭和18年4月で、戦争の激しい時期から敗戦の混乱期に学校生活を送り、238名が昭和23年3月に卒業したが、そのうち新制高校としての西条一高に進学した約100名が、最初の高校3年生となった。わずか1年の一高生活で、翌年には、校名が西条北高校となったため、唯一の「一高」卒業生たちである。50回から52回の場合は、西条一高に在学して、卒業したのは西条北高校となった。


2 商業科の設置

 昭和23年度から、6・3・3制による新学制の高等学校が発足し、総合制・男女共学制・小学区制のいわゆる高校三原則が推進された。本校では総合制実現として、昭和25年4月に商業科が定員150名(1学年50名)で発足した。規模が小さく施設設備も皆無に等しく、教員は3名~4名に止まった。1学年1学級であったが、昭和38年に小松高校の商業科がなくなり、その変わりに本校の商業科が1学級増となった。少科目大単位制だった。

 平成6年3月1日現在の卒業者数は3,328名、最近の傾向は女子の方が多い。これは昭和38年に1学年が2学級になったのと時を同じくしている(それ以前は男女の比率は男子の方が上回っていた)。学業成績の優秀な生徒達が数多く入学した。進路は、住友5社・クラレをはじめ大部分の生徒が地域の各方面の企業に就職し、進学はごく少数であった。



3 理数科の設置

 本校に理数科が誕生したのは、昭和43(1968)年4月である。これにより普通科が1クラス減り、1学年のクラス編成は普通科7・理数科1・商業科2の計10クラスに変更された。当時の日本は、高度経済成長時代に入るとともに科学技術に急速な進歩がみられた時代であった。時代に即応するため、科学技術の基礎をなす、理科・数学教育振興の要請に応え、「理科・数学に関する学科」が設置されることになり、本校と松山南・宇和島東の3高校に各1学級ずつ、定員40名の理数科が設置された。
 

4 衛生看護科の設置

 本校に衛生看護科が設置されたのは昭和47年4月、中予での東温高校や南予での宇和島南高校と同時である。医療の近代化に伴う看護従事者の資質の向上と女子の特性に応ずる教育の一環としての准看護婦養成教育をとり入れることの社会の要請が高まったためである。しかし単なる准看護婦養成だけではなく、社会人としての人間形成に努力することが目標になっている。

 創立当初の衛生看護科を選んだ生徒たちには、ただ西条高校へ入学したかったという理由で入学した者もいたが、やがて看護婦になりたいと望む生徒が入学するようになり、目的意識に支えられた学習が展開された。


衛生看護科開科記念碑

 
 学科の大きな特色は、現場実習があることである。学習の対象が人間とその生命であることから、看護に従事するものとしての厳しさとあたたかい心情を、学習及び日常生活の中で徹底的に身につける必要がある。 衛生看護科が新しい学科でありながら、本校の伝統の古さの中にすんなりと受け入れられたのは、生徒たちの活き活きした学習への取り組みと、日常生活における実践力によるものである。衛生看護科の卒業生のほとんどが進学し、看護婦の資格を取得し西条市内を中心に、医療・福祉の向上のために活躍している。看護法の改正により平成14年度から募集が停止された。
 

5 定時制

 定時制は、働きながら学ぶ勤労青少年の教育を目的として、昭和23年10月に定員400名の併設校として発足した。現在までに1595名の卒業生を世に送り出している。

 発足当時、全校生徒は150名位で、市役所・郵便局・国鉄・営林署・警察署・クラレ・住友化学・商店で働く人などバラエティに富んでいた。学歴は旧制中学4年ないし5年を卒業した人や、青年学校を終えた人などで、生徒の平均年齢は20歳を超えていた。その頃はまだ「定時制」という呼び名になじめず、「夜学」あるいは「夜間高校」と呼んでいた。家庭の事情や経済的理由等で、上級学校への進学をあきらめていた人や 、教養を身につけたいと思っていた人たちにとって定時制は福音であった。定時制を卒業後、東京大学に進学した人もいた。

 その後、社会情勢は急速に変化し、定時制教育を取り巻く環境も大きく変わった。多様な入学動機・生活状況をもった生徒が増加するなど定時制の果たす役割も変化している。平成13年4月現在、全校生徒43名が卒業を目指して学んでいる。